IRON THUMBの北伐記録 (一)

 

それから営業報告。
3日に行われたアイアンサム営業北伐部隊の戦果を報告いたします。

まず、われわれは浦和に赴き
テレビさいたまミュージックへと進軍いたしました所
相手方司令官(プロデューサー)は城を空けており、
われわれの持参した書簡と宣戦布告音源を使いの者に預けてまいりました。

次なる目的地FMさいたま(NACK5)に馬首を取って返し
かの地に到着するも、番兵のそっけない対応に会い、
これでは話が通じぬものよ
と、放送局を後にしました。

その後そのまま北上し、さいたま浦和の有線放送局をのっとろうとするも、
手元にあるは住所の書いた紙切れ一枚。
さいたまの地図など当然あろうはずもなく地元の金貸しのお屋敷に案内を請う我々。

そこに出てきたご婦人のたぐいまれなる親切のありようといったら
水滸伝に出てきたチョウガイ殿か、史進の世話になっていた家か、というくらい。

そのときに後のドクドクロンのガイドラインとなる
「親切にしてくれた者には人道的報復措置を。」
という取り決めがなされたことは今も浦和では語り草となっております。
(『浦和レッズがやってきた』より)

早い話が『廃仏くん』を差し上げたのでありました。

ところが、ご婦人の親切もむなしく
早速見つけた次なる目的地は世の不況のあおりか
すでに閉鎖されたあと。
炎天に肌を焼かれつつジェイアルの電車の座席に体を沈める黒シャツ2人。


その後、列車に揺られながら池袋を過ぎ、目白に馬を止めた二人は
土どころかアスファルトすらヒビ割らん勢いの日差しのもと、
音楽城「ハウリング・ブル」を目指したのでありました。

ここでワンポイント:ジュラシックジェイどのおねェちゃんもエレベーターには乗れ
るのだ。

早い話がここにも我々と矛を交えんとする人間はおらず、
またもや書簡とモノを使いのものに預けてきたのである。


そのころ我々は、自らの体力を歩く行為にのみ消費している事にいらだち始め
「もっと骨のあるやつはおらんのか、のう。」
「そうじゃそうじゃ。」
と東武東上線の車内において槍をしごいているところであった。

ところが―。


いるところにはいるものである。
侮りがたし―成増消防隊。

相手に挑むのをどちらにするかは順番で決めていたので
成増の有線局に立ち寄り、民の激励を受けた我々は先ほど発見した
消防署めがけ、今回の先手である中坊は意気揚揚と乗り込んでいったのであった。

中坊が得意の「営業スマイル」を繰り出す。
相手は一瞬の間を見せた後すかさず「困ったなぁ」の気を吐き、
どっちつかずな対応をし始めた。

後ろに控えた若い武将も動く気配を見せている。
何だその肌着は。

―これは油断できない。

中坊さんを後ろで見守るたいち・Fも
隙あらば我も参らんという表情だ。

斬り結ぶこと三十余合。
何とか上手く相手にCDを渡した中坊であったが
事はこれだけで収まるはずがなかった。

「一応上に行ってください。」
「客っつう事で通しておきますから。」

こう言われてしまっては、申し出をむげに断るわけにも行かない。
相手の術中にはまってしまった二人は色あせた緑のタイル張りされた階段を上った。




―――われわれはだまされたのか。


先に階段を上っていったたいち・Fの口から自然と言葉がもれた。

階段を上ったはいいが、先は突き当たり
両側に扉の閉まった部屋が2つある。
ひとつは「会議室」
もうひとつは「事務室」

どちらも客を通すような部屋ではない。
ただし、先ほど階段を上っている最中に
放送のようなものが入った。
おそらくあれが我々を「客」であると証明し得るたったひとつの
頼みの綱だ。

我々は「客」という武器を胸に
「事務室」の扉を開けた。








てんで通じてない。


対応に出た初老の紳士は日ごろの鍛錬のせいか、
頭髪は薄いがその分精悍な顔つきをしている。

我々はまたもや先ほどの説明を繰り返さなくてはならなかったのであった。










押し売りと勘違いされるなんて。

 

 

 

 

続く。

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